カテゴリ:my story( 6 )

 

愛を感じる力

親引き離し症候群(PAS)の当事者だった子どもがどういう人間になるか・・
やはり、私はその典型的実例なのでしょう。

二十代の終わりから三十代にかけて私は重症の鬱でした。30代後半にそのことを隠して再就職し、バレたらクビになると思いこんでひた隠しにしていました。だから、こういうことを自分で書くのは画期的です。

鬱はクスリでは治りません。症状に会わせて上手に使うということはアリだと思うので、全否定はしませんけど・・ 治るのに必要なのはただひとつ「愛」だけです。親や配偶者に愛されなくても、誰かに愛されればよいのです。世の中には愛情深い人たちがいますから、それほど難しくはないと思います。

しかし、ここに大きな問題があります。愛されているのか、愛されていないのかわからないという場合です。愛されている相手のことは理解できずに、本当は愛されてはいない相手に執着するようなことがありますよね。

なぜ、わからないのか。子ども時代に母親が父親の悪口を聞かせていたら、父親の愛を感じること、受け取ることをしつこく妨害・遮断していたら、当然そのようになってしまうのではないでしょうか。そして、自分が愛される対象であると感じられなければ、自分自身を愛することもできなくなるのではないでしょうか。

「愛されたい」思いがいくら強くても、愛を感じとれなければ未来永劫「愛されない」ままです。

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  by mousavian | 2010-08-08 20:02 | my story

心の絆~受容と共感

「機能不全家族」に育ったアダルト・チルドレン・・・ 自分がACだという自覚は持っていましたが、では何が具体的に足りなかったのか、何を補えば軌道修正ができるのかということへの回答は、本を読んでもなかなかわかりませんでした。まず最初に必要だったのは、「受容」でしたが私にはそれさえもなかったのだろうと長~い長い母との関わりを省みて思います。何を言っても「違う」などという否定的な反応ばかり返ってくる母に対して、お願いだから「そうね」ぐらいは言ってくれないかと頼んだのはそれほど以前のことではありません。無駄でした。「共感」などは、夢のまた夢です。彼女は私にだけ自分への「共感」を求めて、それをしないと「冷たい」となじり続けたのです。ダカラ私は自分を冷たい人間だと思っていて、二十歳ぐらいの頃に先輩から「やさしい人」と評価された時にはとても驚きました。

30才になる少し前に、重い鬱になって実家へ戻りました。母は病気になった私を受容することなどしませんから、自宅に帰ってもよくなるわけはなく拒食状態で入院までしました。自殺も考えていた私を家族全体で心配していたのは本当なのですが、「何をしてあげればいいのかわからなかった」とあとで妹に言われました。なんとか私が生き延びられたのは、父が「受容」してくれたおかげでした。ネアカな父が「オレにはわからないけど、こういうこともあるんだな」と言って自分ができることをしてくれました。「共感」はできなくても、家族の誰かが「受容」さえできれば最低限死ななくてすむということだと思います。

父は十数年前に亡くなりましたが、今まで家族に鬱の人がいる友人から話を聞いたときには、父が私にしてくれたことを基準にアドバイスするようにしました。異常な精神状態にいる鬱な人には「共感」はできないですし、またそうしようとすれば自分自身も巻き込まれますから、物理的な手助けに徹するのがよいと思います。過剰反応して病状を嘆いたりするのは、「受容」していないということですから・・・

引き離しの当事者は「共感」して仲間になることができるのですが、鬱の当事者はそうはいかないのです。精神的に不安定な人同士がへたに「共感」してしまうと影響されて病状が増幅したり共倒れしたりします。退院するときに看護婦さんから「病院でできた友だちとは連絡しないように」とアドバイスされました。その後何年かかかりましたが、独力でお薬との縁切りの戦いをしました。この話は長くなるのでやめますが、引き離し当事者の中には精神的に病んでいる人がいますから、無関係な話ではないと思っています。

長い人生で一番大切なことがなんだったのかやっと少しは分かってきた気がしますが、本当に必要なものはなんなのか、それが元々欠けている人にはわからないのです。漠然と求めて闇雲に行動するだけで、判断間違いの多い無駄な人生を過ごしたような気がします。

両親との心の絆・安心な居場所を持てなかった元子どもの回想です。親といっても完璧な人はいませんから、せめて子ども達が親以外の心やさしい人との交流を持つことを邪魔しないでほしいと思います。私はかなり邪魔をされたのだと今頃やっと気づいています。
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  by mousavian | 2009-09-22 20:38 | my story

連れ去りの背景には・・

ここではないブログに、親権を持つ母の立場の人からコメントをもらったことがあります。私自身の生育歴で父親と別居していた時期があったことを書いて、「だからこそ」子どもには両方の親が必要だと言いたかったのですが、まったく反対の受け取り方をされました。そのような生育歴(父は相当に有責でした)「であるのに」今、子どもに会いたい父親たちとどうして一緒に活動などしているのか理解できないというように書かれました。(そう思う人は、父親なしのほうが子どもは幸せだと言いたいのでしょうね)う〰ん、私だって父親大嫌いな時期は長かったのです。その頃は結婚したいという気になれませんでしたけど。。

父親に対して否定的な「娘」たちが結婚してわが子を産むと、夫がわが子の「父親」になることを受け入れにくいのではないでしょうか。私自身は「3人」の暮らしに非常に不安が強くなって心療内科に行きました。不安から逃れるために「虐待」してしまう人もいるだろうし、「連れ去り」をして3人から2人になって不安解消しようとする人もいるだろうと思います。その頃、私は「自分がおかしい」という意識が強くて医者に行ったり本を読んだりしていましたが・・あぁ、苦しかったです。

「連れ去り」の背景は深いです。当事者だけの責任ではなく、その前の両親の問題が持ち越されていることも多々あるようなので、自分を責めるのも相手を責めるのもやめたほうがいいですね。


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  by mousavian | 2009-06-28 07:26 | my story

学校図書館にいた頃

二十数年前の話ですが、某県立高校の図書室に勤務していました。身分は行政職の学校司書で、当時100校計画として高校が新設されていたのに乗じて大学図書館から転職しました。若くて元気だったので、大学図書館とその周囲の学園都市から脱走して、友人が就職していた県立図書館で働きたいと思っていました。

就職当時は行政職という身分に疑問はありませんでした。教室で授業する教員と自分とは立場が違って当然と思ってましたし、教員になりたいとは思っていませんでした。

ところが、先輩の学校司書たちと出会って話を聞くうちに彼女たちが「教育職」をめざして活動していることを知って影響を受けてしまいました。今にして思えば浅はかでした。「行政職」として採用されていながら、「教育職」として認められるような活動をするのは無理がありました。長年キャリアを積んだ人がその学校で実質的に教育職に近い人として認められている様子を見て、就職したばかりの人が真似をしてみても、事務室の反発を招くばかりでした。

直属の上司である事務長とうまくいかなくなってしまったのは、私が人間関係をうまくやっていく能力がなかったせいで、私がみんな悪かったせいだと今まで思っていた。いやいや、生意気盛りだった私に「教育職」をたきつけた先輩女性たちや大人気なかった事務長にだって、責任あったのではないだろうか。拒食になったり仕事に行けなくなって死にたいような思いをして・・なんで私ばかり苦しんだのだろうと今になってふと思った。
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  by mousavian | 2009-03-01 12:00 | my story

高校時代

高校一年生のときに、自殺してしまった友人がいました。普段つき合いの親友ではなかったけど、中学時代に同じ運動部の二軍仲間だったので親しい仲ではありました。彼女が死んだ時は私のほうも家庭に問題が多くて、くらーかった時期でした。特に泣き悲しんだりはしませんでした。感情鈍麻していたのかもしれません。

弔問に行った友人から話を聞きました。亡くなったS子のお婆さんが彼女たちを呼んで、S子を見せたのだそうです。苦しそうな死に顔だっただそうで、だからこんなことはしちゃいけないよ、と言われたのだそうです。

高校生の頃にはわかりませんでしたが、S子のお婆ちゃまは耐えられないような衝撃を受け、悲嘆に暮れながらも同じ年頃の女の子たちがS子と同じようなことをしないようにという一心だったのでしょう。

お婆ちゃまの意志は、友人を通じて話を聞いた私にも伝わっていました。いろいろな人の思いを受けて生かされている、とこのことだけでも思えます。

S子のことは、三十数年たっても時々思い出します。自殺の理由は知りませんが、高校一年をなんとか乗り切っていれば、卒業してお気楽な大学生活を楽しめただろうと思います。私がそうだったように・・ 

暗かった私が生き延びて、明るい人気者だったS子が死んでしまったのはなぜだったのかと思いますが、彼女のおかげで私は死ぬのを思いとどまれていたのかもしません。今に至るまで・・
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  by mousavian | 2009-02-23 13:23 | my story

県立高 服装態度で22人不合格

Excite エキサイト : 社会ニュース

この校長先生知ってます。私が勤めていた高校の体育教師でした。陸上短距離の方で格好はよかったですが・・ 職員室で女子生徒から没収した校則違反のソックスを沢山箱に入れていたのを見てゾッとしたことがあります。はいているのを脱がせるのって変態じゃないですか・・?

当時の教頭も体育教師で悪い人ではなかったですが、脳みそが筋肉でできていると噂されていました。体育教師は管理職にしないほうがいいです。
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  by mousavian | 2008-10-29 12:40 | my story

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