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心の絆~受容と共感

「機能不全家族」に育ったアダルト・チルドレン・・・ 自分がACだという自覚は持っていましたが、では何が具体的に足りなかったのか、何を補えば軌道修正ができるのかということへの回答は、本を読んでもなかなかわかりませんでした。まず最初に必要だったのは、「受容」でしたが私にはそれさえもなかったのだろうと長~い長い母との関わりを省みて思います。何を言っても「違う」などという否定的な反応ばかり返ってくる母に対して、お願いだから「そうね」ぐらいは言ってくれないかと頼んだのはそれほど以前のことではありません。無駄でした。「共感」などは、夢のまた夢です。彼女は私にだけ自分への「共感」を求めて、それをしないと「冷たい」となじり続けたのです。ダカラ私は自分を冷たい人間だと思っていて、二十歳ぐらいの頃に先輩から「やさしい人」と評価された時にはとても驚きました。

30才になる少し前に、重い鬱になって実家へ戻りました。母は病気になった私を受容することなどしませんから、自宅に帰ってもよくなるわけはなく拒食状態で入院までしました。自殺も考えていた私を家族全体で心配していたのは本当なのですが、「何をしてあげればいいのかわからなかった」とあとで妹に言われました。なんとか私が生き延びられたのは、父が「受容」してくれたおかげでした。ネアカな父が「オレにはわからないけど、こういうこともあるんだな」と言って自分ができることをしてくれました。「共感」はできなくても、家族の誰かが「受容」さえできれば最低限死ななくてすむということだと思います。

父は十数年前に亡くなりましたが、今まで家族に鬱の人がいる友人から話を聞いたときには、父が私にしてくれたことを基準にアドバイスするようにしました。異常な精神状態にいる鬱な人には「共感」はできないですし、またそうしようとすれば自分自身も巻き込まれますから、物理的な手助けに徹するのがよいと思います。過剰反応して病状を嘆いたりするのは、「受容」していないということですから・・・

引き離しの当事者は「共感」して仲間になることができるのですが、鬱の当事者はそうはいかないのです。精神的に不安定な人同士がへたに「共感」してしまうと影響されて病状が増幅したり共倒れしたりします。退院するときに看護婦さんから「病院でできた友だちとは連絡しないように」とアドバイスされました。その後何年かかかりましたが、独力でお薬との縁切りの戦いをしました。この話は長くなるのでやめますが、引き離し当事者の中には精神的に病んでいる人がいますから、無関係な話ではないと思っています。

長い人生で一番大切なことがなんだったのかやっと少しは分かってきた気がしますが、本当に必要なものはなんなのか、それが元々欠けている人にはわからないのです。漠然と求めて闇雲に行動するだけで、判断間違いの多い無駄な人生を過ごしたような気がします。

両親との心の絆・安心な居場所を持てなかった元子どもの回想です。親といっても完璧な人はいませんから、せめて子ども達が親以外の心やさしい人との交流を持つことを邪魔しないでほしいと思います。私はかなり邪魔をされたのだと今頃やっと気づいています。

  by mousavian | 2009-09-22 20:38 | my story

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